パチンコの日
パチンコ業者の集まりである全国遊技業協同組合連合会が1979(昭和54)年に
制定 1966(昭和41)年 全国遊技業協同組合連合会が発足した
当時は、インベーダーゲームの進出でファン離れが起きたため 人気挽回をね
らって制定された
「パチパチ」の語呂合せで8月8日にするという案もあったが 8月は2月とともに
「ニッパチ月」 と呼ばれて客の数が減る月であるため ボーナス期を控え 客の
増加が見込まれる11月を記念日とした
この様に 今日は何の日に書かれていま〜す
パチンコと言えば中学生の時に義兄に連れられて やりましたね〜 暫くすると
店員が来て止められましたがね 爺は中学生でも体は大きかったので 問題は
無いのだが・・ 何せ学生服だったからな〜 そりゃ店員も来るわな〜
以来 これまで殆どたしなみませ〜ん 両手で数えて十分お釣りがきます

だって 勝てるわけないも〜ん 皆さん パチンコはほどほどにしましょう・・
11月は業界のかき入れ時の様です 月給鳥でも鴨だけにはなりませぬよう

先日 京都は 「落柿舎」を 紹介させて頂きましたが その後が 途切れて
いますね 実はこの後 近代日本画家の巨匠竹内栖鳳が大正初期に建てた
別邸の庭園に建てられている 『霞中庵』 と言う所に行き 外から写真を撮り
直ぐに 宇治市の隣に在る 綴喜郡宇治田原町と言う所に行ってきました・・
実はこの宇治田原は 皆さんが毎日頂く (最近はcoffeeですか?) 緑茶の
発祥の地なんです その開発者 永谷宗円翁の生家が 茅葺家だという事で
遠路
は〜るばる 来たぜ 宇治田原〜 であります・・永谷宗円生家・・

前に小さいですが 茶の木があり花も咲いています〜
もう少し右から・・

では 宗円とはどんな人なのか?
永谷 宗円(ながたに そうえん 天和元年(1681年) - 安永7年(1778年))は
山城国宇治田原郷湯屋谷村(現京都府綴喜郡宇治田原町湯屋谷)の農家
永谷家の先祖は同じ宇治田原の糠塚村の土豪で 文禄元年(1592年)に湯
屋谷に移り住んで農業に携わる一方 湯山社を祀っていた もともと名は宗
七郎義弘といい 入道して宗円と称した 三之丞ともいい 直系の子孫は代々
「三之丞」を襲名していた 湯屋谷では茶業のみならず 湿田改良などの事業
を行い 村人を指導する立場であったらしい・・
玄関周り・・

この日は全て閉まっていましたが 写真を撮っていると 管理されている親戚の
方が 玄関を開けて下さいました・・
(永谷宗円生家と言う事ですが 実際には昭和35年に建築されてもので 少しがっかり〜・・)
家の裏側全景・・

宗円翁は開発した緑茶を江戸に持って行き 販路を確保しようとするが 誰も
見向きもしなかったが 唯一この茶を認めたのが 山本家 (現在の山本山)
だったのです そして あっという間に江戸中に広がり全国に知られるところと
なったそうです
宗円は安永7年(1778年)に98歳で天寿を全うした 宗円の子孫のひとりは
東京で「永谷園」を創業した 直系の子孫である三之丞家は明治に宇治市六
地蔵に移転し 現在9代目が茶問屋「永谷宗園」を継いでいるそうです・・
管理されている奥様に 煎茶をご馳走になり 歴史を熱く語って頂きました・・
お忙しい所 有難う御座いました〜
庭で見つけました・・

奥様の趣味で飾られているのですが この狸さん50年ほど前の作品だそう
ですが 現代版と異なり メタボに縁が無いお姿ですね・・
この先は 自然の山になっており 昼は猿が出てきて 悪戯をし 夜は鹿や
狸などが出てくる その上の 夏場には マムシうようよ ムカデぞろぞろで
超自然が 体験できる山里だそうでありま〜す
田舎には憧れますが ここまで自然過ぎると 一寸ご遠慮したくなりますと
心で思いつつ お暇をした徘徊爺でありました
2008/11/14(金) | 爺の茅葺探して | トラックバック(0) | コメント(14)



